先日、ある僧侶の方とお会いした際、「お寺の本堂内は極楽浄土を表したものである。」とお話しを頂きました。
以前、私自身にも仕事する上でその事を強く実感する出来事がございましたので、その事について書きます。
今から8年前のことになります。
丁度今頃の季節でしたので、毎年この時季になりますと思い出します。
私は地元から遠く離れた瀬戸内の港町のお寺様で、2ヶ月余りの間、漆塗りの仕事をしておりました。
その仕事の期間中に父方の祖母と、母方の祖父を亡くしました。
祖母の死に目には会えませんでしたが、一時的に地元に帰りまして葬儀には出ることはできました。
葬儀の後、すぐに私は地元を発ち、お寺に戻り仕事をしておりましたが、祖母の49日が明けぬうちに今度は祖父が立て続けに亡くなりました。
祖母の葬儀の為に一時帰宅したことで、スケジュールが納期ギリギリになってしまい、祖父が危篤になっても地元へ帰ることは到底不可能でした。
私ももう40歳を越えてはおりましたが、幼い頃から可愛がってくれた祖父に直接お別れすることができないことは、やはり辛いことではありました。
祖父が亡くなった日も、私はお寺で作業しておりましたが、その時取り掛かっていた仕事を少しでも美しく仕上げることが亡き祖父に対する最大の供養であると思い、最後まで仕事を完成させました。
なぜ仕事を美しく仕上げることが祖父の供養となるとの思いに至ったのかと言うことについては、このような思いからです。
仏教の教えは死後のことについても語られていますが、私のような者には死後どうなるかと言うことはもちろんわかりません。
しかし、親しい家族を亡くした後は、極楽や天国のような存在を信じたくなる気持ちが出てくることは確かです。
私だけではなく、檀家様やお寺を訪れる方々にとって、ご先祖や亡くなったご家族がこのような美しい場所に行けたのだと連想できるように、そしてまさしく「お寺の中は極楽浄土の再現。」であることを皆様が実感できるようにと仕事をすることこそが私の務めであると、その時強く思いました。
それまでの私は、ただただ技術だけを向上させさえすれば、完成度が高く良い仕事が出来るようになると思っておりましたが、この時からお寺で漆塗りの仕事をするということは、祈りの対象となる世界の表現であると言う大切なことに気づきました。
余談ではありますが、祖父が亡くなった日、夕刻に仕事を終えた私に、その時仕事をさせて頂いていたお寺様のご住職が声を掛けてくださり、亡くなった私の祖父のためにお経を上げて下さりました。
祖父に直接別れの言葉をかけることができなかった私にとって、ご住職がお経を上げて下さったことはこの上なく有り難く思える出来事でした。
あれ以来、どこのお寺様に行って仕事をしても、あの時感じた「極楽浄土を再現する。」と言う気持ちを持ち続けながら仕事をさせて頂いております。